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神戸地方裁判所 昭和60年(ワ)515号 判決

原告

榎本理

ほか一名

被告

原田繁男

主文

一  被告は原告らに対し、金一〇六万円ずつ及びこれに対する昭和五九年九月三〇日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らのその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は四分し、その一を原告らの、その余を被告の各負担とする。

四  この判決の第一項は仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  原告ら

1  被告は原告らに対し、金三〇〇万円及びこれに対する昭和五九年一二月七日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  被告

1  原告らの請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  原告木下新也(以下原告木下という)は、昭和五九年九月一八日午後一〇時四五分頃神戸市須磨区東須磨月見山一番一号交差点内を原告榎本理(以下原告榎本という)所有普通乗用車(神戸五九す七二〇九)を運転中、被告が運転する普通乗用車(神戸五八ゆ八八八一)と衝突した。右衝突により、右原・被告車両に損傷が生じた。

2  原告らは、被告から同月二〇日被告宅に来るよう呼び出しを受け、同日八時一〇分頃同宅を訪れたところ、同被告は前記被告車は、「修理工事に出したが、修理不可能であり、廃車しなければならないので新車を購入するよう」同日一〇時過ぎ頃まで強く要求され、原告らは右被告の言を信じ、同型車の新車購入に応ずる旨の念書に署名した。

3  その後被告は、原告らの勤務先に再三「金はいくらできたか」等電話で右履行を迫り、同月二四日午後八時頃再び被告方に呼びつけ、被告は原告らに車両カタログを示し、購入すべき車両価格は金二四〇万円で諸経費を入れ金三〇〇万円を支払うように求めた。

その際にも被告は、原告らに対し前記被告車両は、修理会社ではスクラツプ代金として、金五万円程度になると言つていると述べ、前記車両が修理不可能で廃車せざるを得ないことを重ねて強調した。

原告らは、右被告の言い分を信じ、已む無く右金額の支払いを約束したが、そのさい被告は、右金三〇〇万円の支払いが完了した場合には、前記被告車両を原告らに引き渡すことを約した。

原告らは連帯して被告に同月二五日内金五〇万円、同月二九日残金二五〇万円を新車購入費として支払つた。

4  ところが被告は、原告らから右金員の支払いを受領しながら、前記約束に反して前記本件破損被告車両を原告らに引き渡さず、後日判明したところによると、右車両を被告は八八万円で修理し、同六〇年一月一七日訴外カネダタケシに売却していた。

5  原告らが被告に新車購入費として前記金三〇〇万円の支払いに合意し、且右支払いをなしたのは、前記のごとく本件被告車両は、修理不能であることを前提としており、右合意の意思表示は、前記事実のとおり錯誤により無効である。仮に右主張が認められないとしても、右支払いの合意は前記のとおり被告が原告らに対し本件被告車両は修理不能で廃車しなければならないとの言による欺罔行為によつてなされたものであり、原告らは、本訴状をもつて右意思表示の取り消しをなす。

6  仮に原告主張の前記錯誤あるいは詐欺の主張が認められないとしても、被告は右金員を不当利得しているものである。

7  従つて、いずれにしても、被告は原告らに対し、金三〇〇万円の返還義務が存する。

よつて、原告らは被告に対し、請求の趣旨記載のとおりの判決を求める。

二  請求原因に対する認否

1  第1項は認める。

2  第2項中、「原告らが昭和五九年九月二〇日午後八時一〇分頃被告宅を訪れ、原告らは被告に対し同型車の新車購入に応ずる旨の念書に署名した」との主張は認め、その余の主張は否認する。

3  第3項中、「被告が原告木下から昭和五九年九月二五日に五〇万円、同年同月二九日に二五〇万円を受領した」との主張は認め、その余の主張を否認する。

4  第4項中、「被告が車両を昭和六〇年一月一七日訴外カネダタケシに売却した」との主張を認め、その余の主張を否認する。

5  第5項は否認ないし争う。

6  第6項は争う。

三  被告の主張

1  本件事故について

本件事故は、被告が信号待ちのため停止線上で停車中、原告木下運転車両が被告運転車に衝突したものであり、原告木下の一方的過失により発生したものである。

被告は本件事故により、被告運転車両のシヤーシが曲る等の大損壊を受けるとともに、被告自身頸椎捻挫等の傷害を蒙り、昭和五九年九月二一日より東田病院に通院する一方、ハリ治療を受けることとなつた。

2  原告らと被告との間の示談交渉の経過。

原告らは昭和五九年九月二〇日午後九時頃被告宅を訪れ(原告ら主張の如く呼び出したものではない)、本件事故が原告らの一方的過失によつて発生したものであることを認め、被告の蒙つた損害の賠償について話し合いを求めた。そこで被告は原告らに対し、被告運転車両が被告の妻が専ら運転している車両であり、ニツサンの新車同様の車両であつて、一般にシヤーシが曲つてしまつた自動車は、修理をしても不完全で、ドライバーはかかる自動車を運転することを好まないことから、本件においても、被告の妻は運転を拒んでいるので新車の購入が必要であること、身体についても頸椎等に異常を感じており、その治療費も必要となることを申し述べたところ、原告木下から新車購入代金等の物的損害及び人的損害を含め、損害賠償金の内金として金三〇〇万円を用意し、その余の治療費等の損害については、誠意をもつて解決する旨原告榎本より原告木下の右債務を保証する旨の各申出があつた。被告はこれに応ずることとし、原告ら主張の日時に損害賠償金の内金として、原告木下より金三〇〇万円の交付を受け、金二九〇万円で新車を購入した。

ところで、原告らは当初、被告に対する損害賠償金を、原告榎本の加入している任意保険の保険金によつて支払いをなすべく予定していたようであるが、右金三〇〇万円の支払後、右任意保険には未成年者による運転の場合には保険金の支払いをなさない旨の特約がなされており、原告木下が未成年者であるため、任意保険の保険金が本件事故には支払われないことが判明した。

原告らは、原告木下の父が加入している任意保険の保険金をもつて、本件事故の損害賠償金の支払いに当てようと考え、被告に対しその旨伝えてきた。そこで、原告らが損害賠償金の支払いに苦慮している様子がうかがえたことから、被告運転車両を修理の上これを売却し、その利益をもつて損害賠償金の一部となすことを提案したところ、原告らもこれに賛同した。よつて被告はニツサン自動車に修理見積り額及び売却予定額を算出させたところ、修理見積額八〇万円、売却予定額八五万円との回答で、余りに利益が低額であつたので、トヨタ自動車に修理及び売却を依頼し、修理代金八八万円、売却額一〇〇万円で売却し、金一二万円の利益を得た。

被告は、右金一二万円を右約定に基づき、既受額金三〇〇万円と共に損害賠償金の一部として受領することとし、原告らにその旨通知し、原告らの了解を得た。その後、原告らは被告に対し、被告のその後の治療費、慰藉料の支払いのため原告木下の父加入の任意保険に対し、保険金請求の手続きをなしたいといつて、保険金請求の手続への署名押印を求めてきた。

被告はこれに応じたところ、署名押印後に至り、原告は右保険金の内金四〇万円を原告榎本の取得分として欲しい旨被告に対し求めてきた。

被告は新車購入代金として二九〇万円を支払つており、治療費、慰藉料等の人的損害の賠償金としては二二万円を取得しているにすぎず、右保険金中金四〇万円を原告らの取得分とすることに反対であつたが、原告らの立場も考慮し、金二〇万円を原告らの取得分とすることを認めたところ、原告らはこれを拒否し、話し合いが中断し、その後、本件訴訟が提起されることとなつた。

3  以上の示談交渉の経過からも明らかな如く、被告が原告らに対し、被告運転車両が修理不能で廃車せざるを得ないことを申し述べたこともなく、金三〇〇万円の支払完了時に右車両を原告らに引き渡すことを約したこともなく、金三〇〇万円は本件事故による損害賠償金の内金として受領することとなつたものである。

4  仮定抗弁

仮に被告が原告らの本訴請求に係る金三〇〇万円の支払義務を負担しているとしても、被告は本件交通事故に基づき、原告らに対し、次のとおり金三四二万二九四〇円の損害賠償請求権を有しており、右損害賠償請求権と原告らの被告に対し有する右金三〇〇万円の返還請求権とは共に履行期にあり、相殺適状であるので、昭和六一年一〇月二四日の本件口頭弁論期日において、相殺の意思表示をした。

(一) 金二六万九〇二〇円治療費

(二) 金二九万一九〇〇円交通費

(三) 金二七二万五〇〇〇円休業補償(但し、昭和五九年九月二一日以降昭和六〇年三月三一日までの間一日二万五〇〇〇円として実通院日数一〇九日間)

(四) 金五〇万円慰藉料

合計金三七八万三九二〇円

(五) 損益相殺 金三六万〇九八〇円受領金

差引合計金三四二万二九四〇円

四  被告の右仮定抗弁に対する原告らの認否

被告主張の仮定抗弁は次のとおりいずれも争う。

1  まず治療費であるが、これは鍼灸施術料についての全額金二六万七〇二〇円については本件自賠責保険において認められなかつたことでも明白なように、本件事故治療の損害としては因果関係ないしその必要性がなく、右支払義務は存しない。

2  交通費についても右同様自賠責保険で認められておらず、また被告傷害状況からしてタクシー通院の必要性は全くなく、且右出損の立証は何ら存在しない以上失当であることは明白である。

3  休業補償についても被告は休業の事実もなく、またその必要もない(従つてもともと保険請求においては右主張さえしておらず、本訴において突如として主張するところから見ても為にする主張以外の何者でもない)。

また、被告は訴外大成護謨株式会社の代表者であり、本件事故により収入が減額した事実もなく、また減額するはずもない。

4  本件事故により被告が蒙つた精神的損害は金三八万七六〇〇円が相当であり、右については自賠責保険から既に支払済みである。

第三証拠

本件記録中の証拠関係目録に記載のとおりであるから、これを引用する。

理由

一  不当利得返還請求について

1  請求原因第1項の事実は当時者間に争いがない。

2  右事実に、成立に争いのない甲第二号証、第四ないし第六号証、乙第二〇ないし第二三号証、第二四号証の一ないし三、第二五号証、第二六号証の一ないし四、第二八ないし第三四号証、第四四号証、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる乙第七号証、原告榎本理本人尋問、被告本人尋問の各結果を総合すれば、次の事実が認められる。

(一)  原告榎本は昭和五九年九月当時、株式会社落合支店の副店長をし、同木下(昭和四〇年七月一五日生)は右当時同支店の販売店員であつた。(二) 原告木下は、同榎本を助手席に乗せ、同榎本所有の普通乗用車を運転して、同年九月一八日午後一〇時四五分ころ、神戸市須磨区東須磨一番地の一先交差点を左折すべく南進中、同所が下り坂で左に急カーブしており、また当時降雨で路面が濡れ、車輪が滑走しやすい状況にあつたのに、漫然、時速六〇キロメートルで進行し、同交差点入口付近で急激に左転把したため、左折できず、自車を前方に滑走させ、折から対向右折しようとして、同交差点中心付近で停止していた被告運転の普通乗用車(以下被告車という)左側面前部に自車右側面前部を衝突させた(以下本件事故という)。(三) 被告車はニツサンスカイライン二〇〇〇GTEXであつて、被告の妻が昭和五八年三月ごろ代金約二八〇万円で購入したものであり、右購入時から本件事故時までの累積走行距離は八八〇五キロメートル、本件事故により同車は車体前部が中破し、左側面が小破した。(四) 原告らは本件事故後の同月二〇日被告から呼び出しを受けて同日午後八時一〇分ごろ被告宅に赴き、被告から「被告車は修理不可能であり、廃車しなければならないので新車を購入するように、」と強く要求され、原告らは、本件事故により真実、被告車が修理不可能になるまで破損したものと信じ、同日被告に対し、損害賠償として新車を購入して引き渡すことを約束した。原告らが同日被告の要求により被告に差し入れた念書と題する書面(乙第四四号証)には「本件事故により被告車を修理不可能なほど損傷させてしまつたので、被告に対し、その損害賠償として半月以内に新車を購入して引き渡す。人的損害は別途に協議する」旨の記載がある。(五) 被告は、同月二四日原告らを再び被告宅に呼びつけ、原告らに対し、車両カタログを示したうえ、購入すべき車両価格は二四〇万円であつて、諸経費を入れ、三〇〇万円を支払うよう要求し、原告らは、すでに前(四)項記載の約束をしているため、やむなく同日被告に対し、右三〇〇万円を支払うことを確約した。(六) そこで、原告らは連帯して被告に対し、新車購入代金として同月二五日五〇万円、同月二九日二五〇万円、合計三〇〇万円を支払つた(この支払については当事者間に争いがない)。(七) しかし、被告車が本件事故により損傷した部分は前記のとおり、車体前部の中破、左側面の小破であつて、その修理個所は、フロントパネルグループ、ラジエーターフアン、サポート、左ドア、左リアーフエンダー、左クオーターウインドガラス、左ストラツト第二四か所、部分品価格約四〇万円で修理できるものであり、フレーム、エンジン等車体の本質的構造部分に重大な損傷がなかつたし、現に被告は、同年一月ごろ高泉光一方で被告車を代金八八万円にて修理させ(この修理費は当事者間に争いがない)、そのころ自動車販売業者に被告車を代金一〇〇万円にて売り渡してしまつている。(八) 原告らは、その後、被告車の右修理、売り渡しの事実を知り、昭和五九年一二月六日到達の内容証明郵便で被告に対し三〇〇万円の返還催告をした。(九) なお、原告らは、被告に対して前記新車購入代金三〇〇万円を支払つた際、被告が当然に被告車を引き渡してくれるものと思い、被告にその要求をしたが、被告は右要求を拒絶した。また、被告は、その後、代金約二九〇万円で新車を購入している。

以上の事実が認められ、これに反する被告本人の供述部分は措信できず、ほかに右認定を動かすにたる証拠はない。

3  思うに、交通事故で自動車を破損された被害者は、右自動車の所有者である限り、その所有権に基づき、右自動車を修理して使用するのも、これを他に売却して新車あるいは中古車に買い替えるのも、自由なことではあるけれど、元来、損害賠償制度は被害者において事故により被害を受けた直前の経済状態にまで回復することを理念としているものであるから、被害者が右目的をこえて当該事故により経済的に不当に利得することは許されないところである。したがつて、車両損害を受けた被害者が加害者に対してその物的損害を請求できる範囲は自ずから限度があり、新車又は新車同然と評価される車両が損傷を受けた場合には、新車の再調達価格、中古車が損傷を受けた場合には、修理可能なものについては、それに必要かつ相当な修理費全部、もし、その修理後も評価損の生じることの明らかなときはその評価損をも加える。修理不能なものについては、被害車両の事故当時における取引価格から、被害車両の売却代金(スクラツプ代金)を控除した残額、以上が加害者に対して請求できる賠償額である。そして、右にいう修理不能というのは、被害車両が事故により物理的又は経済的に修理不能と認められるほか、フレーム等車体の本質的構造部分に重大な損傷が生じたことが客観的に、しかも被害車両の所有者においてその買い替えをすることが社会通念上相当と認められるときも含むと解すべきである(最高裁判所昭和四九年四月一五日第二小法廷判決、民集二八巻三号三八五頁参照)。

4  これを本件についてみるに、前記(三)認定事実によれば、被告車は、その購入後、本件事故前まで一年六か月間使用され、走行距離も八八〇五キロメートルに達していることが明らかであるから、被告車は本件事故当時新車または新車同然と評価しうる状態にある車とは到底いえない。したがつて、被告は原告らに対し、被告車の損傷を理由に新車再調達価格の損害を求めることは許されない。また、前記(七)認定事実によれば、被告車の損傷は車体前部の中破、左側面の小破であり、その修理個所はフロントパネルグループ等二四か所にわたるが、フレーム等車体の本質的構造部分に重大な損傷がなく、代金八八万円で修理できたというのであるから、被告が原告らに対し、被告車の右損傷を理由に請求できる損害額は、右修理代金八八万円をこえることがないものである(本件全証拠によるも、評価損を認めることができない)。

しかるに、原告らが被告に対して新車購入代金として三〇〇万円の支払に合意し、その履行をしたのは、被告車の損傷が修理不能であるとの被告の言を信じたからであり、かつ右修理不能が支払前提であつたことが昭和五九年九月二〇日被告に差し入れた念書(乙第四四号証)にも表示されていること及び、原告らは、後日、被告車の損傷部分が修理可能である事実を知つたこと、以上は前記(四)ないし(八)認定のとおりであるから、原告らの右支払の意思表示は、その重要部分に右に述べたような錯誤があり、民法九五条により無効というべきである。

5  ところで、原告らは被告に対し、前記三〇〇万円の全部返還を求めているのであるけれども、一方原告らは、本件事故により被告車が破損し、その修理に八八万円を要したことを自陳しており(請求原因第4項の事実)、原告らは被告に対し、本件事故による被告車破損につき右修理費八八万円の損害賠償義務があること前説示から明らかであるから、原告らの右自陳は、相手方(被告)の援用しない自己に不利益な陳述として訴訟資料とすべきである。そうすると、原告らが、錯誤を理由に不当利得金として被告に対し、返還を求めることのできる金員は、民法七〇三条により前記支払金三〇〇万円から、右修理費八八万円を控除した二一二万円及びその遅延損害金であるといわなければならない。

原告らの不当利得返還請求は、右認定の限度で理由がある。

二  相殺の抗弁について

1  本件事故の発生、態様は、前記一の(二)認定のとおりであり、本件事故により被告の被つた損害は、次のとおりである。

(一)  治療費 三三万九〇二〇円

成立に争いのない甲第八号証、弁論の全趣旨によつて真正に成立したものと認められる乙第三号証、第七、第八号証、第一一、第一二号証を総合すれば、被告は、本件事故により頸部捻挫、腰部捻挫を受傷し、その治療のため昭和五九年九月二一日から同六〇年三月三一日まで東田外科医院(医師東田昭二)に通院(通院実日数五七日)し、その治療費として、三三万九〇二〇円を要したことが認められ、右治療費は、本件事故と相当因果関係のある損害ということができる。

しかし、弁論の全趣旨により真正に成立したと認められる乙第五、六号証、第九、一〇号証、第一四ないし第一九号証を総合すれば、被告は、前記受傷治療のため、昭和五九年一〇月一日から同六〇年三月三一日まで判田鍼灸整骨院(医師判田重)に通院(その実日数五二日)し、鍼灸の施術を受け、その治療費として二六万七〇二〇円を支出したことが認められるけれども、同整骨院の右治療は、その通院期間において東田外科医院のそれと明らかに重複していることや、本件全証拠によるも、被告の前記受傷につき、同外科医院の薬物、物理的治療のほかに、鍼灸施術までしなければならないほどの医学上の必要性が認められないことに徴すれば、判田鍼灸整骨院の前記鍼灸は過剰治療というほかはなく、したがつて、同整骨院の前記治療費は、本件事故と相当因果関係ある損害と認めることはできない。

(二)  慰謝料 三八万円

(三)  右(一)(二)の損害金合計七一万九〇二〇円。

被告は、上記損害のほかに、(1) 交通費二九万一九〇〇円の損害、(2) 休業損二七二万五〇〇〇円を被つたと主張する。

右(1)については、弁論の全趣旨によつて真正に成立したものと認められる乙第一三号証によれば、被告は、前記東田外科医院及び判田鍼灸整骨院に各通院に際し、タクシーを利用し、その費用に二九万一九〇〇円を支出したことが認められるが、被告の受傷は、後遺障害の残らない程度の頸部捻挫、腰部捻挫という神経症状であり、その通院にタクシー利用がやむを得ないとされる場合には当らないから、右通院交通費は、本件事故と相当因果関係のある損害と認めることはできない。なお、東田外科医院までの電車、バス等の交通費程度は、前記慰謝料で考慮ずみである。次に(2)については、成立に争いのない乙第四五、四六号証、被告本人尋問の結果を総合すれば、被告は、本件事故当時、大成護謨株式会社の代表取締役をし、その役員報酬として年額八四〇万円(月額七〇万円)を得ていること、同会社は、建築資材の断熱用スポンジ等の製造を業とし、昭和六一年九月現在年商約九億円、従業員五十数名を擁し、会社財産としては数億円があること、被告の前記役員報酬は昭和五九年度も同六〇年度も変らなかつたことが認められ、それによれば、被告は受傷の痛みや前記東田外科医院での通院治療のため、一時業務につくことができなかつたとしても、現実に収入の減少がなかつたわけであるから、休業損害があつたといえない。また、前記のとおり被告は大成護謨株式会社の代表取締役であるが、前認定のような同会社の人的、物的規模からみて、被告個人と同会社との間に経済的同一体の関係が認められないから、被告の前記受傷による企業損害も認めることはできない。

以上のとおり、被告の前記(1)(2)の主張はいずれも理由がない。

2  成立に争いのない甲第九号証、被告本人尋問の結果によれば、被告は、自賠責保険から七二万七三二〇円の損害てん補を受けていることが認められ、前記1の(三)の損害金合計七一万九〇二〇円に対し、右てん補金を充当すると、原告らは被告に対し、本件事故による人的損害賠償債務が存在しないこととなる。

3  そうすると、被告には自動債権が存在しないから、被告の相殺の抗弁は理由がない。

三  むすび

以上の次第で、被告は原告らに対し、不当利得返還金一〇六万円ずつ(合計二一二万円)及びこれに対するその支払催告をした翌日である昭和五九年一二月七日から完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払う義務があり、原告らの請求は、右認定の限度で正当として認容し、その余は失当として棄却する。

よつて、訴訟費用の負担について民訴法八九条、九二条、九三条を、仮執行の宣言につき同法一九六条を各適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 広岡保)

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